十年

2011年10月4日 日常 コメント (5)
父の事故から始まった、まるまる十年間にわたる介護生活が突然終わりました。
先週の木曜日(9月29日)のことです。
いつも通りの朝。
高校生二人を送り出した後フーバちゃんにお薬をのませ、パンツ、パッド取り換え。10時半からのヘルパーさんの時間に合わせて
そろそろ十時よ、と起こして朝ご飯、
赤だしの御みそ汁に昨夜のカボチャとサツマイモの天ぷら、ミンチを挟んで揚げたナス、由美ちゃんのお母さんが作っておくって下さったトウモロコシをたべました。いつもは朝は食べられなくて、ラコール(栄養補助の飲み物)やヴィーダインゼリーくらいなのに、ゆっくりしっきかりたべていました。とりわけトウモロコシが美味しかったようで右手にしっかり持ってたべていました。
若いヘルパーさんがきて三人で普通にしゃべりながら、ヘルパーさんと私はおふとん干したり、取り換えたり片づけものをしたり。その日はバドミントンの当番だったのでカレーにしようと、ヘルパーさんのいるうちに買い物に出かけました。近くのスーパーのパン屋さんはフーバちゃんのお気に入りのアンパンがあります。
それを買って家に帰ると、お風呂から上がったところでした。

昨日シャンプーしたから今日はしないといっていたのに、気持ちが良いからシャンプーお願いしますと言われました、とヘルパーさん。

お茶やショウガ蜂蜜を飲んで、アンパンをおいしいねーとたべながらテレビを見て、先日みた、女の子が海外の現場で働くお父さんに姉妹だけで会いに行く番組はよかったなどとしゃべっていました。

ヘルパーさんが帰った後30分くらい一緒に過ごして、

私もお昼ごはん食べてくるね、夜は当番だからカレーにするけど、お母さんはお蕎麦にしようか?

らっちゃん入院中にコンビニのとろろそばをよろこんで食べたのをおもいだして牛蒡とニンジンのかき揚げを冷凍していたなぁと心づもりしながら言うと

ああ、お蕎麦はおいしいねぇと返事をしました。

それが最後のことばでした。

一時間半くらい休憩して見に行くと、車いすのままがっくりと右半身をおるようにたおれていました。心臓マッサージをしながら救急車をまち、近くの大学病院に運びましたが、意識がもどることなく、なくなりました。
午後8時54分でした。

もっと早く見にいけば良かったとか、後悔することはたくさんたくさんあるのですが、最後まで自宅できままにすごし、好きなものを食べられたこと、とくに今日は美味しいを連発していたこと、ほとんど苦しまずにいったこと、まあ幸せな人生だったのではないかと思うようになりました。

なんだか突然でしたが否応なく月曜日から日常がはじまりました。
一日一日を乗り越えて行かなくてはね。
私は一人っ子だから思い出を語り合う相手がいないの。それが寂しいの。

姉妹がいたら悲しみの中にでもあの時はこうだったね、可笑しかったね、なんて笑いあうことができるのに。

高倉健さんが80歳というのにびっくりしてお誕生日を調べたら、なんと父と同じ日でした。ああこれも母にいいたかったなぁ。一緒に幸せの黄色いハンカチみにいったねー

なんだかやる気が出なくて、家事もなげやり。お弁当作りも昨日も今日もさぼっちゃった。誰にもあいたくない、一日中寝ていたい。でもきょうは頑張ってバドミントンにいくつもり。じゃないとお酒ばかりのんじゃうからね。それから土曜日の同窓会にも行くつもり。

はやく月日がたってほしいもんです。
映画をみました。 ここに人生あり(伊)
山にいきました。夫と。市内を一望できる鬼が鼻岩
同窓会に行きました。
ガンバのレッスンをうけました。
リコーダーアンサンブルにいきました。

楽しいことどんどんしないと、ぼんやりしてしまいそうなので。
来週の水曜日はまた映画にいこうっと。
母の部屋を整理していたら、なんと結婚前の父から母に宛てた手紙がたくさんでてきました。

およそ石部金吉のような父がいっしょうけんめいな様子が伝わってきてびっくりするやらおかしいやら。

父は学問一筋の人だったし、母も早く亡くなった祖母にかわって妹たちを先にお嫁に出したりして、ふたりとも晩婚でした。

母が父を見知ったのはエレンブルク氏(イリヤ)が福岡で講演を行ったときに、同じく演台にたった父を見たのが最初だと聴いていましたが、ちゃーんとエレンブルク講演会の半券もとってありましたし、一年後の母の手紙もありました。

一年前の今日をおぼえていらっしゃいますか?
と。

そして
私は世界一の幸せ者です、とつづくんですもの、まあまあなんてなんて情熱的だったんでしょうね。

交際の最中に父に他のお見合い話がもちあがって、

そちらはきちんとお断りします。

というようなハガキもあり、おやおやおや・・・

また東京と福岡を忙しく往復していた父からは帰福したら直ぐに伺います、(会いに行きます、でないところが昔ふう)というハガキの数々、手紙が来ているかとおもったのに届いていなかったのでがっかり、などというものもあって、わたしにとっては本当に貴重なものでした。

私たちは電話世代で、子供たちはメール世代。
なんだかしみじみした一日でした。

子供部屋

2011年10月20日 日常
私が子供の頃に過ごした部屋をフーバちゃんは使っていました。

今次男のミハーが受験勉強につかっています。なんだかちょっと嬉しいな。


あちらの家に灯りがついているとほっとするのです。


メンバーの中に雨男もしくは雨女がいるのかな、今日も雨でした。
しとしと降る中を井原山からのぼっていきました。前回の山行は暑くて気分が悪くなったので、ちょっと心配。左足の親指の爪も半分ないし、右足の爪も真っ黒なので、今回靴を新調したので、その歩き具合も気になるところ。

で・・・今回発見。私雨の中歩くの好き!!
山の雨は降ったりやんだりだし、緑が冴え冴えとして、雲や霧で幽玄な景色が楽しめます。

ただお弁当の時は止んでてほしいな。
井原、雷山両方とも頂上ではことのほかひどい雨と風。お返弁当をそそくさ押し込むと寒くて寒くて、早く出発しましょうよー、という感じでした。

下りでは痛いくらいにひもを締めて、歩き方に用心しながら降りました。

天気のために何時もよりスローペースだったので私には楽しめた山行でした。

晩御飯は迷うこなくかしわ手羽元のスープにして温まりました。(キャベツもたっぷりね)
小さい頃、従姉のお下がりの服が楽しみでした。東京の従姉から京都の従姉、そして私へと段ボールいっぱいの洋服が本当に嬉しかったことが忘れられません。

だから我が家の子供たちもご近所の三兄弟のお下がりもらって着ていました。
さすがに途中からは次男が長男と同サイズになったりして買いたしましたし下の子のときには古びたりで、らっちゃんだけ新しいものをかったりしました。

さてそれを夫の弟の子供に譲ろうとすると、ダメなんですって。

「あそこは嫌がるから」

というわけで同じ町内の子供会で知り合ったママさんに言うと、「喜んでー」と貰ってくれました。

我が家は公立中学だったので、長男以外は制服だっていただきものです。入学式のときこそちょっと目立ちますが、みんながぶかぶかでいかにも新入生しているときに、着なれた感じでカッコイイと子供たち思っていたみたいです。

そしてその制服たちも(体操服やバッグも )全部お譲りしてきました。

だって本当にもったいないんですもの。

今日は母の洋服で、新しい綺麗なものを公民館に持っていくつもりです。今度のバザーでどうぞ売れますように。
 
ステキにおしゃれに着ていただけますように。





菅野君が日ハムに行かずに浪人することになりそうだともっぱらの話です。

でもそうしちら巨人ファン以外の野球ファンからはそっぽむかれるのじゃないかしら。
ドラフトで日ハムが名乗りを上げた時のどよめきと、指名を引き当てた時の拍手、あれが巨人以外の野球界の気持ちですよね。

子供の時から夢見ていた巨人、その気持ちはとてもとてもわかるけれど、
それに一族をあげて巨人に思い入れがあるのはわかるけれどね。

日ハムはとてもいいチームだよ?斎藤くんだって喜んでいったじゃない。いまパ・リーグの方がダントツに面白いよ(私の独断ですけれど)

そうはいっても日ハム優勝した時の立役者、小笠原もあっさり巨人にいったし(しかもひげ剃ってね)、巨人って野球選手なら「いつかは巨人に!!!」という永遠のチームなのかな。

なんだか浪人して菅野くんの人生にけちがつかないように祈るばかりです。

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